流石に昨日は疲れていたうえに、揺れる夜の車内でスマホで文字打ちするのはなかなかシンドかったので、ブログは書けませんでした。
今日になってもなかなか執筆に気が進まず、こんな時間になってしまったが、記憶が新鮮なうちに書いておこうと思う。
全日本選手権は毎年この時期に開催される日本一決定戦。
このレースの勝者は1年間、特別なジャージを着ることができる。
日本の全日本選手権は高確率で、総合力があって上れる選手しか戦えない、ハードな上り+長距離な設定がなされる。
中でも今回は最悪だ。
僕が今まで走ったことのある全日本選手権の中でも最狂の日本CSC8kmコースの周回レース。
獲得標高は5000mに迫るとか。
いやそもそも規定である一周10km以上を満たしてすらないじゃん…
とか言いたいことは色々ありますが、これを20周回するレースです。一応認可は取ってるらしい。
この日の朝は無駄に早くホテルから連れ出され、持て余した時間を架空の彼女のこととか考えながら過ごしていた。
この時聴いていた曲は確か尾崎豊だった。
それから1時間くらいするとようやく会場が賑わってきた。
日本人だけしかいないレースというのも昨今では珍しくて、何だか新鮮な気分だった。
それにこのレースはプロアマ関係なしに出場資格のある選手が平等に出走する。
スタート人数も140人ほどいたそうな。
ただ静かにスタートの時を待つ。
この日までにそれなりに気合いを入れて準備はしてきた。
チームメイトに言われるくらいには細身に仕上がっていたようだ。
曇り空でカンカン照りじゃなかったのが救いだったが、湿度は高く、まとわりつくような暑さを感じる中、160kmのレースがスタートした。
スタート直後から、逃げに出たい動きもあったが、1周目では決まらず平均的に早いペースで集団のまま。
2周目に入って、十数名飛び出すシーンがあり、この時有力選手も動いた。
一時はアベタカさんが逃げに乗っていたが、この逃げが分断し、5名の逃げが容認され、アベタカさんは戻ってきてしまった。
当初のプランでは逃げにチームから複数枚乗せるプランであったが、これを外してしまったことで後手にまわる。
この先もまだ長い為か、どのチームも動きを見せず、メイン集団はすっかり落ち着いてしまい、ペースがかなりスローになった。
僕に与えられていたオーダーは、チームメイトが逃げに乗った上で成り立つはずのもので、この時どうしたら良いか分からなかったが、とりあえずいつもの走りを心がけた。
全日本は無線も無い上に、コースの特性上、チームカーに戻って監督とコンタクトを取るということができない為、地上スタッフからの抽象的な指示がある以外は現場での判断を強いられる。
チーム右京は監督はチームカーに乗らずコース上で指示出ししていたくらいだ。
逃げとの差は広がる一方で、それを嫌ってか新城幸也選手が時々アタックを仕掛けて集団を活性化させようとする動きが見られた。
しかしどのチームも動きを見せない。
タイム差は5分以上に広がり、いよいよ危なそうな雰囲気が漂う中、僕にオーダーが言い渡された。
「小野寺、集団コントールに入れ」
常に集団前方で走っていた僕は、すぐさま先頭に出て集団を引き始める。
コントロールに入れ、ということは、監督間で他チームとの交渉等があり、逃げていないチーム同士で強調体制を築いた上で複数人でのコントロールが始まるものだと思っていた。
僕は前を引き始めたが、他に上がってくるチームがいない。
僕の後ろに愛三の譲さんがいたが、当然ながら逃げに送り込んでいる為に引くわけが無い。
チームメイトと協調するにも、既に枚数が少なく、見える範囲には谷さんと時さんしかいなかった。
これ以上チームの枚数を減らしてしまうのはマズいと思い、僕は単独牽引を続けることにした。
1周…2周…と周回を重ね、ホームストレートに帰ってくるたびに「長く引き続けろ」と指令が飛んでくる。
無茶言わないでくれ…と思いながらも必死の牽引を続けた。
タイム差はどうやら縮まっていたようだ。
複数チームが協力体制にあったならば、2〜3分のタイム差でコントロールするという選択肢もあったのだろうが、僕1人では長時間そんな繊細なことをしていられない。
ここは僕の独断で、力を出し切って、できる限り集団を逃げに近づけることにした。
単独牽引を始めてから3周を過ぎたあたりで限界が来た。
上りで脚が動かなくなった。
最後に見たタイム差は2分40秒だったか。
もう終わりかよ…と自分にがっかりしながら、先頭を時さんに変わってもらう。
時さんはもっと後半に取っておきたかったが、もうこうするしか手段が残っていなかった。
後退する際に、谷さんに手持ちのジェルを全て託し、僕は集団からドロップした。
ここから先の展開を僕は知らない。
前線離脱してしまった僕は、自ら降りることはせず、タイムアウトで降ろされるまでは走り続けようと、なんとか脚を動かしていた。
すると前方に、チーム右京の選手が2人見えた。
トラブルで遅れた小石選手と、そのアシストのために一緒に走っていた増田さんだった。
小石選手はその周で降りたが、増田さんは少しでも長く走りたいようで、僕に一緒に回ろうと声をかけてくれた。
僕の脚はほぼ限界だったが、増田さんと走ることで、何とか動いていた感じ。
まさかこんなところで増田塾が発生するとは思いもしませんでした…
でもやっぱり増田さんの背中は心強いですね。
増田さんとの周回はそれから2周くらい続き、やがてタイムアウトで残り7周回を残してレースを降ろされた。
谷さんは最後単騎になりながらも奮闘し、9位フィニッシュ。
チーム内唯一の完走者。
エースの重責を背負ってここまで戦ってくれました。
今年の全日本選手権の優勝者は山本大喜選手。
ここ最近は同世代選手の活躍が目立っている。
喜ばしくもあり、少し悔しかったりする。
最後はメリダがサポートする2チーム合同の挨拶と撮影で全日本選手権は幕を下ろしました。
帰りの車では差し入れで頂いたものを食べたりしながら過ごす。
脚が痛くてずっと座っているのがかなりきつかった。
夕飯は久々に脂質等を一切気にせずに、好きなものを選んで食べた。
美味しかった。
僕の全日本が終わった。
与えられた仕事をやれるだけやったつもりなので、ゴールできなかったことは別に気にしてはいない。
ただ、これが本当に正しい走りだったのかは分からない。
もっと強ければ…とか、
もっと良い立ち回り方があったかも…とか。
ロードレースの過酷さと難しさを痛感したレースでした。
昨日は暑い中長時間に渡り、沢山の応援ありがとうございました。
1人孤独に前を引き続けていた時も、応援のおかげで踏ん張れていました。
レース後も沢山の方に声をかけてもらえて、差し入れも色々頂けて、とても嬉しかったです。
また皆さんに良いレースをお見せできるよう頑張りますので、今後ともチームの応援よろしくお願いいたします!
それではまた。